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デジタル校書殿

平安以来の故実書をデジタルデータ化しました。
有職故実の研究にお役立てください。

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【お約束】

平安〜室町の歴史年表と組み合わせた故実書年表→ 
書名 著者 著作年 摘要 底本 公開




(養老令)
朝廷 天平宝字元(757)年 古代日本の基本法令。構成は、律10巻12編、令10巻30編。平安中期までにほとんど形骸化。散逸しており現存しないが、令については、律令の注釈書として平安前期に編纂された『令義解』『令集解』や他の文献から復元されている。律は、名例律、衛禁律、職制律、賊盗律、闘訟律の一部のみ復元。 国史大系 会員

(養老律)
国史大系 会員
延喜式 延長五(927)年 延喜式は養老令の施行細則集。古代史の研究に不可欠の文献といわれています。当然ながら装束に関する記述も全巻にわたり豊富。 縫殿寮式は「縫殿寮」の業務マニュアル。寸法や染色材料、官人の給料等について詳細に記されている。 国史大系 会員
類聚符宣抄 小槻官務家? 平安時代末期 天平九(737)年から寛治七(1093)年までの間の太政官符や宣旨などの命令書を、内容別に分類して編集したもの。太政官の弁官局史を世襲した小槻(壬生)官務家が、執務の参考のため家伝資料を纏めたとされるが、11世紀前半に源経頼が編んだという説もある。別名は『左丞抄』。 国史大系 会員
御成敗式目 鎌倉幕府 貞永元(1232)年 武家政権の基本法として、北条泰時を中心として定められた法令。親族・相続・物権等の民法や、刑法の定めなど判りやすく具体的。その後の武家法の範となった。『貞永式目』とも。 中世法制史資料 会員
禁中并公家諸法度 徳川幕府 元和元(1615)年 豊臣家を滅ぼした徳川家康が、天皇や公家たちの勢力をそぐために行動規範を細かく定めた法令。装束についても非常に細かく規定。ただし、天皇の行動規範を順徳天皇の『禁秘抄』に求めるなど、画期的な弾圧的内容とは言えまい。 近世法制史資料 会員
太政類典(抜粋) 太政官 慶応三年〜明治十四年 太政類典は、慶応3年(1867)から明治14年(1881)までの太政官日記及び日誌、公文録などから典例条規を採録・浄書したもの。ここでは旧式の装束から洋服の大礼服への変遷に関わる資料を抜粋した。附:神官神職服制 (明治27年勅令) 国立公文書館 会員
服制ヲ改ムルノ勅諭 明治天皇 明治四(1871)年 近代化を急ぐ明治日本において、天皇自身の服装を洋装に改めることにより、一層の文明開化を促進しようとしたもの。これにより公服としての装束の幕は閉じられた。 会員
皇室令 政府 明治33年
〜大正5年
明治以降、憲法の枠外に置かれた明治22年制定の「皇室典範」に付随する皇室運営の諸規則。諸儀式における装束も規定されている。
皇室祭祀令同改正登極令同改正摂政令立儲令皇室成年式令皇室親族令皇室儀制令皇室喪儀令
会員




日本書紀 舎人親王他 養老二(720)年 日本における伝存最古の正史で、六国史の第一。
神代から持統天皇の時代までを扱った漢文・編年体の史書。服制の変遷がここで明確となる。
国史大系 会員
続日本紀 菅野真道他 延暦十六(797)年 六国史の第二。
文武天皇から桓武天皇まで(697年-791年)を扱う40巻。
国史大系 会員
日本後紀 藤原冬嗣他 承和七(840)年 六国史の第三。
桓武天皇から淳和天皇まで(792年-833年)を扱う40巻。(但し3/4が失われ10巻分のみ現存している)。
国史大系 会員
続日本後紀 藤原良房他 貞観十一(869)年 六国史の第四。
仁明天皇の代(833年-850年)を扱う20巻。
国史大系 会員
文徳実録 藤原基経他 元慶三(879)年 六国史の第五。
文徳天皇の代(850年-858年)を扱う10巻。
国史大系 会員
三代実録 藤原時平他 延喜元(901)年 六国史の第六。
清和天皇から光孝天皇まで(858年-887年)を扱う50巻。
国史大系 会員
通史 日本紀略 不詳 平安末期 六国史の抜粋と、六国史以降の宇多天皇から後一条天皇の長元九 (1036)年までを、未完に終わった『新国史』や、『権記』などの公家日記から事項を抜粋して編年体にしたもの。 国史大系 会員
百錬抄 不詳 13世紀末  公家日記から引用した歴史書。現存は4巻〜17巻で、冷泉天皇の968(安和元)年)から亀山天皇即位の1259(正元元)年12月までが編年体で記されている。 下襲の「裾」の長さの規定が興味ふかい。
4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 
国史大系 会員
大日本史(列伝) 徳川光圀
(水戸藩)
1657-1906 神武天皇から後小松天皇まで百代の治世を扱う紀伝体の史書。帝王の部である本紀、その他の事績を描く列伝がある。
后妃皇子皇女廷臣平清盛公家武家将軍将軍家族将軍家臣文学歌人孝子義烈列女隠逸方技叛臣逆臣諸蕃
吉川弘文館 会員












公卿補任 不詳 不詳 神武天皇から明治元年までの公卿を官職順に列挙した職員録。各個人の生没年、任官履歴などが記されている。朱雀天皇代(930〜946年)には一定の形が成立し、その後順次書き加えられてきたと考えられている。ここでは奈良〜平安に絞ったExcelファイルとし、西暦・在位天皇名等を補ってソート・抽出の便を図った。 国史大系 会員
内裏儀式 嵯峨天皇?
(786-842)
9世紀前半 唐風全盛期である平安初期の宮中儀礼解説書。早くに廃止された元日の朝賀についても詳しい。 故実叢書 会員
年中行事障子文 藤原基経 仁和元(885)年 清凉殿の上戸に置かれた障子(ついたて)。東面に1〜6月、西面に7〜12月の年中行事が列記されている。また天皇の服装や服忌・触穢の要点も記載。仁和元(885)年に藤原基経が設置して以降、時代に応じた加除がなされた。 続群書類従 会員
宇多天皇御記 宇多天皇
(867-931)
逸文復元
887-897
苦労人であった宇多天皇の日記で、現存はごくわずか。古くから帝政のテキストとして尊重されていたことが各種の文献から伺える。また、親ばか愛猫家として「可愛くて言葉に出来ない」というような素直な感想も書かれている。 史料大成 会員
寛平御遺戒 寛平九(897)年 我が子、醍醐天皇に贈った教訓書で、天皇の心構えや菅原道真の功績などを熱く語っている。行事の細かな作法や実践的マニュアルを含んでいた全文は残っておらず、群書類従も一部のみ。他の内容は多くの文書に引用の形で散見される。 群書類従 会員
醍醐天皇御記 醍醐天皇
(885-930)
逸文復元
897-930
「延喜の治」と後世仰がれた、醍醐天皇の日記。古く散逸し、各種の引用文書から復元された部分もごくわずか。 史料大成 会員
吏部王記 重明親王
(906-954)
延喜廿(920)年〜天暦七(953)年 吏部王(式部卿宮の唐名)重明親王の日記。平安中期の朝廷儀式について詳しく書かれていて、後世の故実家の参考に重宝された。本文は散逸しており逸文蒐集によってある部分的に辿ることが出来ている。 史料纂集 会員
本朝月令 惟宗公方 10世紀前半 平安時代中期における年中行事の起源や内容を解説した書。諸文献からの引用が多い。全4巻のうち、4月から6月までの第2巻のみ現存する。 群書類従 会員
九條殿遺戒 藤原師輔
(908-960)
10世紀半ば 子孫に向けた教訓書。整理整頓、悪口を言うな、無断欠勤は最悪の評価、若いときは遊技より学問、といった真面目な教育書と言った内容。謹厳実直で優秀であった師輔は摂家主流を勝ち取ることとなり、有職故実でも兄実頼の「小野宮流」と並ぶ「九條流」を興した。 群書類従 会員
九條年中行事 政治が年中行事化し、有職故実が成立し始めた当時、兄の実頼は「小野宮流」、師輔は「九條流」を興し、覇を競った。その九條流の年中行事書。後世のものよりも荒削り感があることに時代を感じさせる。  群書類従 会員
新儀式 村上天皇?
(926-967)
10世紀半ば 平安中期の宮中儀式・行事に関する規定書。先行する「内裏式」「儀式」をもとに時代の変化に応じて改めたもの。現存は巻4/巻5の「臨時」のみ。 群書類従 会員
村上天皇御記 逸文復元
947-967
様々な文化的行事が記され、また大火災や天変地異の記録もある。平安時代の国風文化がこの時期に花開き始めたことが見て取れる。 史料大成 会員
西宮記
17,19
源高明
(914-983)
10世紀後半 西宮左大臣と呼ばれた源高明による故実書。項目毎に分類され読みやすく、『北山抄』『江家次第』と並び「三大故実書」とされ、後世の亀鑑とされている。ここでは装束に関する直接的記載の多い巻17および巻19を紹介。 故実叢書 会員
政事要略(巻六十七) 惟宗允亮
( ?-1009)
長保四(1002)年頃 政務運営に関する全般の事例集。律令格式の条文や国史・日記の記事、その他引用し、明法家である惟宗氏の勘文も収録している。ここでは、装束等の非違糺弾に関する事例を集めた「巻六十七」を紹介した。 国史大系 会員
小野宮年中行事 藤原実資
(957-1046)
11世紀初期 平安時代に生まれた有職故実の2流派「小野宮流」と「九條流」。その小野宮流故実を伝える書。一年間の公事・儀式を列挙し、ごく簡単な説明と前例、根拠となる文書を示している。後半は触穢や服忌の基準や礼儀等のいくつかの項目について、律令格式から引用している。 故実叢書 会員
一條天皇御記 一條天皇
(980-1011)
寛弘七(1011)年 原本は早くに失われた。引用復元された部分もごくわずか。一條天皇は清少納言や紫式部の時代の文芸的な華やかさを想起するが、きちんと政治を見ていたことがわかる。 史料大成 会員
後朱雀天皇御記 後朱雀天皇
(1009-1045)
1036-1044 原本は早くに失われた。引用復元された部分もほんの数行のみ。入浴時に着る「ゆかた」を「天羽衣」と呼んだ事実が分かる。 史料大成 会員
後三條天皇御記 後三條天皇
(1034-1073)
1068-1072 原本は早くに失われた。引用復元された部分もごくわずか。ただし、延久元(1069)年10月に、廷臣の下襲の裾の長さの規定している記述は貴重。 史料大成 会員
江談抄 大江匡房
(1041−1111)
1104〜
1108年頃
後三条・白河・堀河天皇に仕えた学者、大江匡房の談話を、藤原実兼が筆記したもの。朝儀公事に関する雑事雑感や漢詩にまつわる逸話が多い。 岩波新大系 会員
雲図抄 藤原重隆
(1076〜1118)
1115〜1118年頃 正月の四方拝から大晦日の追儺までの、宮中年中行事について物品配置から動線までを詳しく図解して説明した、蔵人頭用マニュアル。図説したものは類例が少なく貴重である。装束、とくに天皇の装束の儀式による使い分けに詳しい。 群書類従 会員
中外抄 藤原忠実
(1078-1162)
久寿元(1154)年 関白忠実の論談集。大外記中原師元の筆記による。富家語よりは政治的な内容の記述が多い。保延三(1137)年から久寿元(1154)年まで。 岩波新大系 会員
富家語 応保元(1161)年 平安末期の関白が語る、装束、儀式での立ち居振る舞い作法からテーブルマナーまでを具体的に。高階仲行の筆記による。久安七(1151)年から応保元(1161)年まで 岩波新大系 会員
貫首秘抄 藤原俊憲
(1122-1167)
保元三(1158)年頃 貫首(蔵人頭)として心得るべき事項を記載した備忘録的マニュアル。藤原俊憲は信西入道の嫡男。学問に優れて保元三年蔵人頭になるなど実務者として最高の地位に昇ったが、平治の乱で解任された。 群書類従 会員
新任弁官抄 新たに弁官となった者の心得るべき様々な事項(立ち居振る舞いや装束など)を具体的に述べている。 群書類従 会員
満佐須計装束抄 源雅亮 平安時代末
1160年頃
装束をメインとした最古の有職マニュアル書。現実的立場から、衣紋道確立以前の装束の実相を知ることが出来る貴重な書。雅亮は藤原頼長の家司などを勤めた。 群書類従 会員
満佐須計装束抄
(漢字変換.)
満佐須計装束抄はほとんど平仮名で読みにくいので、漢字に置き換えました。適宜段落換え行換えなどし、群書類従の傍注も反映しました。かなり読みやすくなったと思います。装束実務者ならではの生き生きとした文章をぜひお読みください。
(一括置換を多用しているため、誤変換・怪しいところも多々あると思いますが、ご容赦ください。)
公開
大槐秘抄 藤原伊通
(1093−1165)
応保二(1162)年頃 二條天皇に、天皇親政と帝王学について進講した内容の書。二條天皇は「世ノ事ヲバ一向ニ行ハセマイラセテ」『愚管抄』と親政の実をあげ、「末の世の賢王におはします」『今鏡』と世の賞賛を浴びた。 群書類従 会員
長寛二年朔旦冬至記 中原師元 長寛二(1164)年 旧暦(太陰太陽暦)では、太陽の周年運行と月の満ち欠けを基準とした日付のずれを19年(1章)に7回の「閏月」で調整していた。計算上、11月1日(朔日)に冬至が来る年を1章の始まりと位置づけ、その冬至「朔旦冬至」を盛大に祝った。平安後期の儀式の様子を詳細に記したもの。 続群書類従 会員
内侍所御神楽部類 不詳 不詳 天承元(1130)年から仁安二(1167)年までに開催された内侍所御神楽(12月に宮中で行われた御神楽)についての記述を、『中右記』『山槐記』『信範記』などから抜粋した部類。 続群書類従 会員
羽林要秘抄 藤原定能
(1148−1209)
平安末期 羽林(近衛)次将としての装束や立ち居振る舞いについて、行事式典毎にこまかく記したマニュアル。後鳥羽上皇の校正の際に省略が行われている。衛府官(武官)が巻纓+闕腋袍姿だけでないことがわかる。 群書類従 会員
東宮年中行事 不詳 平安末期か 内裏とは異なる、東宮御所における年中行事を解説したもので、院政期に範を求めている。東宮亮のマニュアル。ただし四月以降のみ現存のため、大切な正月行事が不明なのは惜しまれる。 群書類従 会員
法曹至要抄 坂上明基
(1138-1210)
平安末期から鎌倉初期 法曹官僚であった坂上氏による法律書。律や検非違使式、諸判例などや明法家の学説を引用し、時代にあった法律解釈を掲載。禁色違反の罰則等も示されている。 群書類従 会員
高倉院厳島御幸記 源通親
(1149-1202)
治承四(1180)年 安徳天皇に譲位した高倉院が、安芸国宮島の厳島神社に参詣し、帰京するまでの旅について、随行した院の近臣、通親が記した紀行文。 群書類従 会員
清〓眼抄 清原氏の
検非違使官人?
鎌倉初期? 〓は獣偏に解。文献から検非違使の活動についての記述を集めたもの。緊急時でも、故実を重んじ装束に関する決まりを守ろうとする姿が、当時の価値観を物語る。引用文は『後清録記』(源平期に検非違使の府生・志という実働部隊員として活躍し、使庁故実に詳しかった清原季光の日記)からが圧倒的に多い。 群書類従 会員
大夫尉義経畏申記 不詳 12世紀末 検非違使に関する様々な故実を紹介した文書。公式記録の少ない源義経の、検非違使尉(判官)任官時の装束等も詳しく書かれている。 群書類従 会員
安元御賀記 四條隆房
(1148-1209)
安元二(1176)年 後白河法皇の50歳の祝いの儀式。右大将平重盛はじめ平家総動員で管弦の遊びや蹴鞠などを展開。絢爛豪華で「風流(ふりゅう)」の限りを尽くした装束が登場する。 群書類従 会員
後鳥羽院御践祚次第 九條兼実
(1149-1207)
寿永二(1183)年 平氏が安徳帝を奉じて西国へ下ったときの、後鳥羽天皇の践祚の式次第をまとめたもの。後鳥羽院当時4歳。日記『玉葉』(別名『玉海』)の記述の抜書。 群書類従 会員
俊成卿九十賀記 近衛基通
(1160-1233)
建仁三(1203)年 藤原定家の父、俊成の90歳の祝賀会。和歌披講の様子が描かれる。高齢者への贈り物「鳩杖」を後鳥羽上皇から鳩杖を賜わっていることが特記される。 群書類従 会員
年中諸公事装束要抄 中山忠定
(1188-1256)
鎌倉前期 年間の朝廷諸行事の際に着用する装束について。 続群書類従 会員
物具装束鈔 装束を構成する物具(パーツ)の詳解。狩衣の重色目の標準でもある。 群書類従 会員
餝抄(飾抄) 中院通方
(土御門大納言)
(1189-1239)
1200年代前期 鎌倉時代前期の装束状況がよく理解できる。記述は具体的で、しかも村上源氏ならではの内容(指貫に龍胆襷を用いる等)が興味深い。 群書類従 会員
助無智秘抄 不詳 鎌倉前期頃成立か? 六位蔵人、近衛司官人に役立つ具体的かつ詳細なマニュアル。 群書類従 会員
参軍要略抄  下 不詳
(北面の武士)
建保四(1216)年 平安末期の「北面の武士」の勤務について平易に書かれたもの。この頃は「風流」も極まれりで、北面のメンバーはかなり奇抜な恰好をし、錦を多用し「華麗」という単語も登場している。残念ながら「下巻」のみで、しかも一部が欠けている。 続群書類従 会員
たまきはる 健御前(1157-1220頃) 1120年頃 作者は藤原俊成の娘で、定家の姉。仁安三(1168)年に建春門院(高倉天皇の生母)に仕え、その後も宮仕え人生を送った。平安末期の「風流」(ふりゅう・エキセントリック)全盛の時代。金箔や錦を多用する絢爛豪華なさまが見て取れる。 岩波新大系 会員
世俗浅深秘抄 後鳥羽上皇
(1180-1239)
鎌倉時代初期 儀式の再興により朝廷の権威を維持しようとした後鳥羽上皇の手による、具体的で詳細な故実書。 群書類従 会員
後鳥羽院宸記 1212-1216 さまざまな引用から日記の一部を再現したもの。雨の中でも蹴鞠会や笠懸などの遊芸に興じているさまがわかる。 史料大成 会員
古事談 源顕兼
(1160-1215)
1212-1215 奈良時代から平安中期に至るまでの、王道后宮・臣節・僧行・勇士・神社仏寺・亭宅諸道の6巻462話。『小右記』『扶桑略記』『中外抄』『富家語』などからの引用が多く、貴族社会のさまざまな逸話を赤裸々に描いている。 岩波新体系 会員
禁秘鈔(禁秘抄) 順徳天皇
(1197-1242)
承久三(1221)年頃 宮中儀礼が廃れて行くことを憂い、天皇の心構えや日常生活、儀式の作法等をまとめた書。宸翰故実書としてスタンダード扱い。後世「帝王学」必須の書とされ、『禁中并公家諸法度』にも引用される。 群書類従 会員
順徳院御記 1211-1221 建暦元(1211)年から承久三(1221)年までの記述。内容は政治的な記述は無く、歌会に関するものばかりであるが、これは日記そのものは失われており、和歌関係の書に引用された記述をもとに日記を再構成したことによる。 史料大成 会員
四條院御即位記 近衛兼経
(1210-1259)
貞永元(1232)年 2歳で即位した、鎌倉時代前期の四條天皇の即位記録で、童帝ならではの礼服の扱いなどが見えて貴重。四條天皇は自ら仕掛けた悪戯が原因の事故で、わずか12(満10)歳で亡くなった。 続群書類従 会員
次将装束抄 藤原定家
(1162-1241)
鎌倉前期 近衛中将の装束について非常に詳しく解説した書。巻纓と柏夾の違いなども。 群書類従 会員
釈奠次第 孔子を祭る大学寮の重儀「釈奠」のマニュアル。関係者は中国風を演出する意味から礼服(らいふく)を着用したとある。 群書類従 会員
蝉冕翼抄 花山院師継
(1222-1281)
鎌倉時代 除目に関する様々なルールや用語に関する基礎知識が説明されている。この頃になると荘園の衰退や国司の権威の低下が見られる。 群書類従 会員
野槐服飾抄 徳大寺公継 鎌倉時代前期 後鳥羽上皇の時代、行幸・行啓・御幸など、野外に出る行事に供奉する場合おける装束を詳細に解説。 続群書類従 会員
三條家装束抄 不詳(三條家) 鎌倉時代 別名「伏見院宸翰装束抄」ほぼ今に伝わる有職故実の完成 群書類従 会員
衛府官装束抄 源頼言 鎌倉時代 下級武官装束の詳細。変容しつつある鎌倉期故実の実相。 続群書類従 会員
参議要抄 不詳 鎌倉時代? 参議の心得るべき様々な事項をまとめたマニュアル。『西宮記』や『北山抄』などの古い故実書だけでなく、鎌倉時代の藤原長房の著作からも多く引用している。 群書類従 会員
門室有職抄 不詳
(法成寺権寺主)
鎌倉時代中期 礼法・調度・装束など「有職故実早わかり」というような内容。特に牛車関係に詳しく、あちこちで見かける「牛車の乗車順」のようなものもこの書で図解されているものが広く流布している。 群書類従 会員
後深草天皇御記 後深草天皇
(1243-1304)
1263-1303 南北朝の分かれ目、持明院統初代の後深草天皇の日記。当時は政治上の思惑から天皇がすぐに代わったため、即位の礼や皇太子読書始の儀式が相次いだため、そうした儀式での装束に詳しい。 史料大成 会員
蓬莱抄 勧修寺重隆 文永八(1271)年 宮中年中行事について、蔵人や殿上人が心得るべき事項をマニュアル化したもの。勧修寺家は弁官・蔵人を輩出し、引勘(前例調査)を家職とした実務型貴族。こうしたマニュアルの存在がその権威を高めた。 群書類従 会員
弘安礼節 一條内経
ほか
弘安八(1285)年 亀山上皇が編纂を命じて作成された書札礼。書簡を出すときの差出者と宛所の書き方の礼法を記したもので、身分差で細かく規定されている。これに加え、街頭で上位者に遭遇した歳の挨拶の軽重について増訂されている。 群書類従 会員
雁衣鈔 不詳 鎌倉中期には成立か 重色目など狩衣や衣、単についての色彩を詳解しているスタンダード本。 群書類従 会員
紫明抄 素寂 1294年以前 現存する鎌倉時代の源氏物語の注釈書として最大のもの。先行する『源氏釈』『奥入』の内容を引いたり、引歌や故事出典を指摘している。
         10
角川本 会員
布衣記 齋藤助成 永仁三(1295)年 青侍北面滝口の装束や立ち居振る舞いについて解説した鎌倉武士向けの書 群書類従 会員
永仁五年朔旦冬至記 賀茂定清 永仁五(1297)年 鎌倉末期の暦に関する行事の記録。朝廷に仕える青侍も、この時期では直垂を着ているとある。 続群書類従 会員
永仁御即位用途記 安部親景
紀 頼景
永仁六(1298)年 蔵人所官人による、後伏見天皇即位大礼にかかわる装束調度品の調進物一覧表。調達価額や用途の詳細が具体的によく判る。 群書類従 会員
侍中群要(第五) 不詳 嘉元四(1306)年写 「侍中」は蔵人の唐名で、その蔵人に関するさままざまな事例を集めた、マニュアル本。作者も成立年代も不詳で、以前は橘広相の撰とされてきたが、近年は疑問視され、宇多天皇の作、という説も有力。数百年の間に、蔵人実務に多く携わった、公家平氏などによる追加書き込みがなされ、宇多天皇の時代とは異なる記述も多い。第五は装束に直接関連した記述。 続々群書類従 会員
後照念院殿装束抄 鷹司冬平
(1275-1327)
鎌倉後期 束帯を中心に装束の細かな決まりを摂関家の立場から具体的に解説。 群書類従 会員
後宇多院御記 後宇多天皇
(1267-1324)
1306-1319 亀山天皇の第二皇子で大覚寺統。真言密教に深く帰依し、残っている日記の記述もそのことのみ。在位中に蒙古襲来があったが、その記述は全く残っていない。 史料大成 会員
後伏見天皇御記 後伏見天皇
(1288〜1336)
逸文復元
1307-1327
鎌倉末期、持明院統の天皇の日記。文化人としての側面が大きく、日記でも琵琶の奥伝伝授の喜びなどが綴られる。改元のことなども詳しい。 史料大成 会員
舞御覧記 不詳 鎌倉時代末期 元徳三(1331)年3月に西園寺家の北山殿に後醍醐天皇を招いて開催された舞楽の宴を記録した文。各自の装束の記載や、高齢者に贈られた「鳩杖」の記述もある。 群書類従 会員
建武年中行事 後醍醐天皇
(1288-1339)
1300年代前半 朝廷儀式・公事の復興と継続拡大を願った後醍醐天皇自身の筆による年中行事の解説書。神今食など天皇自らが行う神事についてなど、天皇でなければ書けない具体的な内容もあって貴重。 群書類従 会員
日中行事 天皇の日常生活を時系列的に具体的に述べたもの。半分以上が食事の作法。箸の上げ下ろしにも決め事がある。宿直衣としての衣冠と、昼装束の束帯の使い分けのタイミングなども。 群書類従 会員
夕拝備急至要抄 中原師茂
(述)
室町前期 蔵人(唐名:夕拝郎)の急に備えたもの。上巻で年中行事、下巻には臨時行事について簡潔に参加メンバーや要領が記されている。臨時行事の(たとえば関白子息の元服など)記述があるのは貴重。 群書類従 会員
相国拝賀部類記 不詳 室町前期? 太政大臣就任の拝賀(御礼挨拶)の様子を「信範記」久安六(1150)年、「後花山院太相国記」元応二(1320)年など、各種文献から抜き書きしたもの。 群書類従 会員
御禊行幸服飾部類 不詳 室町前期? 平安後期から鎌倉後期までの諸文献から、大嘗会御禊行幸における装束に関する部分を抜き書きしたリファレンスガイド。時代の流れにより次第に変容する故実が興味深い。 群書類従 会員
河海抄 四辻善成
(1326-1402)
1362頃 宮中での源氏物語の講義の内容をまとめたもので、将軍足利義詮に献上されたもの。全二〇巻。源氏物語の注釈書のうち、古い部類に属する「古注」の集大成とされる。
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角川本 会員
撰塵装束抄 高倉永綱 室町時代初期
(14世紀後半)
即位の大礼に用いられる「礼服」についての詳細や、「衣服令」「延喜式」の色彩関連の解説、服喪装束など多岐に渡る装束解説書。 群書類従 会員
連阿口伝抄 貞治五(1366)年 高倉家の基盤を築いた人物の書。非常に具体的な着装法を詳述。本来は門外不出の書。 高倉家文書は著者の意向に反して広く流布し、結果として衣紋道宗家としての高倉家の名声を高めた。 群書類従 会員
連阿不足口伝抄 連阿口伝抄の補足的内容を記したもの。元服関連の記述などについて、衣紋道の名手らしい具体的な内容が記載されている。 群書類従 会員
橘以國装束鈔 『連阿口伝抄』と同じ内容が別名で伝わったもの。 続群書類従 会員
年中行事歌合 二條良基
(1320-1388)
貞治5年12月23日に関白二條良基が主催した、年中行事や宮廷の諸事を歌題とした歌合の記録。題材となった行事・事項の解説が加えられている。この時代には既に廃絶した行事も多い。「公事五十番歌合」とも。 群書類従 会員
永和大嘗会記 永和元(1375)年 南北朝時代の公卿、二條良基の日記で、永和元(1375)年に行われた後円融天皇の大嘗会の様子を記したもの。わかりやすい筆致で書かれ、行事の内容が具体的によく判る。 群書類従 会員
おもひのまゝの日記 康暦二(1380)年 足利義満の有職故実の師となって朝廷文化の復興に尽力し、また後小松天皇の摂政になった良基が、公事復興が叶い「思い通りになった一年間」の年中行事を振り返ったもの。 群書類従 会員
後円融院御譲位記 永徳二(1382)年 後円融天皇譲位の記録。内弁は右大臣足利義満。仮名まじりの読み下し文で、臨場感あふれ読みやすい。 続群書類従 会員
後小松院宸記 後小松天皇
1377-1433
応永五(1398)年 足利義満の権勢絶頂期の天皇の日記。現存する内容はごく少ない。 史料大成 会員
庭訓往来 玄恵法印? 応永年間(1394〜1428)頃 衣食住から政治・職業・病気など多岐にわたる一般常識集・模範文例集的な内容。往来(往復の手紙)形式をとり、12か月×往復+1の全25通からなる。近世の寺子屋で多用された初等教科書の一つ。原文は擬漢文体。 岩波新体系 会員
法躰装束抄
童躰装束事
高倉永行 応永三(1396)年 足利義満が出家するのあたり、衣紋奉仕のための法衣関連の詳解と後半は児童の装束に関する貴重な記述。義満との衣紋を通じての親密さが、高倉家が高位に昇る家となった理由とも考えられている。 群書類従 会員
装束雑事抄 応永六(1399)年 高倉家に伝わる装束の寸法や取り扱いについての解説。
高倉流で宝典とされており、群書類従に収められていない非公開部分が多数ある。
群書類従 会員
北山院御入内記 一條経嗣
(1358-1418)
応永十四(1407)年 足利義満の妻、日野康子が准后宣下を受け、後小松天皇との対面の儀式を行った記録とパレードの詳細を記したもの。朝幕あげての盛儀、女性陣の装束も詳しく掲載されている。
群書類従 会員
作法故実 三條実冬
(?-1411)
室町時代前期
14世紀末頃か
公家の起居進退に関する作法書。具体的で、各家の相違等も解説。 群書類従 会員
海人藻芥 恵命院(中御門)宣守 応永二十七(1420)年 御室の門跡寺院、仁和寺に属する僧で、僧中(僧侶界)の衣食住にわたる有職故実を語り、あわせて比較対照としての俗中の故実も紹介している。現代知られる様々な「有職故実の決め事」は、これを根拠にしているものも多い。宣守は勧修寺流の公家、中御門宣方の二男。 群書類従 会員
達幸故実抄 中山定親 正長元(1428)年 平安末期の藤原(中山)忠親の日記(1156-94年)である『山槐記』(別名『達幸記』)の中から、有職故実の部分を抜き出して項目毎にまとめたもの。その第1部。『山槐記』は記載が詳細で、公事のテキストとして重宝された。 群書類従 会員
上卿故実 不詳 15世紀初頭か 大中納言が上卿(会議や行事の進行役の最上席者)を勤める時のマニュアル。立居振舞を具体的に詳述。 群書類従 会員
名目鈔 洞院実熙
(1409-?)
室町前期(15世紀) 朝儀典礼に通暁した室町前期の従一位左大臣が表した音訓辞書。漢字の場合何と読むのかわからない事が多いが、この本のお陰で読むことが可能に。後年、三條西實隆や山科言継など多くの文化人の手が入った。 群書類従 会員
曇花院殿装束抄 後奈良天皇皇女
聖秀尼宮(?)
室町後期に成立か どんげいんどのしょうぞくしょう。
女子の襲色目と調度品の整え方について。
群書類従 会員
衛府長装束抄 今出川教季
(1425〜1483)?
室町時代か 過差(贅沢)禁止の倹約令などの様子も。 続群書類従 会員
後花園院御譲位下書注文 室町幕府 寛正五(1464)年 寛正五(1464)年7月19日に譲位した、後花園院譲位に関する幕府費用の経理帳簿。 群書類従 会員
代始和抄 一條兼良
(1402-1481)
文明十(1478)年 天皇の代替わり儀式である、譲位〜践祚〜即位〜大嘗会までのことを細かく記した書。特殊な用語の意味を端的に解説している。宗祇の依頼で追加した用語集が巻末にある。 群書類従 会員
二判問答 廷尉(検非違使)に関する細かな決まり(呼称や装束等)についての、廷尉二階堂政行の質問状に一條兼良が添削回答したもの。息子冬良らの注釈が付されている。 群書類従 会員
桃花蘂葉
文明十二(1480)年 「桃華蘂葉」とも。とうかずいよう。「五百年以来の才人」と称された室町時代を代表する公家学者が、我が子に遺した有職故実書。装束から書類の書式、領地のこと、漢字の読み方までを具体的に示す。 群書類従 会員
胡曹抄 読みは「うぞうしょう」。『桃華蘂葉』に付属した書。装束に関することを中心とし、特に女性の装束、袴の紅/濃のTPOなど、具体的に詳述されている。 改定史籍集覧 会員
女官飾抄 1400年代後半 女官の襲色目について詳解の前半と後半は衣類全般の用語説明。 群書類従 会員
後妙華寺殿令聞書
一條兼良による、養老令に関する講義を、息子の冬良が筆記したもの。官位・職員・後宮職員・東宮職員・神祇・僧尼の各令の、基本的な用語解説がなされている。 続群書類従 会員
東斎随筆 音楽・草木・鳥獣・人事・詩歌・政道・仏法・神道・礼儀・好色・興遊の各項目について、さまざまな説話をごく短く要約して紹介したもの。「随筆」という名称のついた書物の最古のものとも言われている 群書類従 会員
年中行事大概 ごく簡潔に年中行事について説明したもの。さすがに一條兼良。実に明解でわかりやすい内容と筆致。 続群書類従 会員
身のかたみ 不詳 1400年代か 公家の女性向け教訓書。御化粧の心得や立ち居振る舞い、さまざまなマナーが語られている。 群書類従 会員
装束抄 三條西実隆
(1455-1537)
15世紀後半に成立か いわゆる「西三條装束抄」。室町時代中期の装束リファレンスとして最強。 群書類従 会員
深窓秘抄 山科顕言?
(1428-1462)
一応奥付は応仁二(1468)年 詳しい寸法を示した前半と後半の不正確な用語集。
山科顕言の名を騙った後年の偽書とも思われる。
群書類従 会員
殿上淵酔部類 不詳 室町中期? 平安後期〜鎌倉末期までの正月に催された「殿上淵酔」(宮中での歌舞宴会)にかかわる記述を抜き出したもの。解紐や肩脱の状況説明が詳しい。三條西実隆が綾小路家に伝わる文書を延徳三(1491)年に書写したとある。成立はそれより以前。 続群書類従 会員
陽照院儀同踏歌節会御次第 松木宗綱
(1445-1525)
延徳三
(1491)年
前年の延徳二年一月、応仁二年以来廃絶されていた小朝拝及び節会が復活。これを考証し、翌年度に活用すべく纏めた文書。廃絶の危機に臨んで、記載は微に入り細を穿つ緻密さである。松木宗綱は中御門宗綱とも。儀同は儀同三司の略で、准大臣のこと。 続群書類従 会員
大嘗会小忌抄 卜部兼致 補 明応元(1492)年補記 宮中祭祀において神事担当者が袍の上に纏う「小忌衣」の寸法などに絞った記述。原著者は「藤宰相」。 続群書類従 会員
康親卿貫首拝賀次第 中山康親
(1485-1538)
永正四(1507)年 蔵人頭拝賀(就任お礼参内の儀式)と従事記録文書往来集。拝賀の舞踏について具体的に記述されている。 続群書類従 会員
浅浮抄 不詳 永承五(1508)年編 装束を中心にさまざまな裏話。徒然草の趣。
原本が書かれた時代は相当に古いと思われる。
続群書類従 会員
衛府具抄 一條冬良
(1464-1514)
永正十(1513)年 左金吾(左衛門督)となった藤原基春の求めにより、衛府具足(武官ならではの装束パーツ)を解説した書。 続群書類従 会員
三節会次第 1500年代 節会(群臣に宴を賜る儀式)の中でもとくに重要な一月の元日節会、白馬節会、踏歌節会の式次第と注意点を具体的にまとめた覚え書き。 群書類従 会員
綾小路俊量卿記 綾小路俊量
(1451-1518)
永正十一(1514)年 新嘗祭に関しての詳細。歌曲の歌詞まで詳述。小忌衣についても図入りで具体的に判りやすく記述されている。(挿し絵は省略) 群書類従 会員
宇槐雑抄 三條西公條
(1487-1563)
1500年代 平安末期の左大臣、藤原頼長の日記の中から、行事の次第についての部分を抜き出したガイドブック。頼長は「日本一の大学生、和漢の才に富む」と評されたほどの学者であったが、狷介な性格で嫌われた。『満佐須計装束抄』の著者、源雅亮も頼長に仕えていた。 群書類従 会員
大永二年殿上淵酔記 持明院基規
(1492-1551)
大永四(1524)年 大永二(1522)年の正月行事を詳しく書いたもの。殿上淵酔の記録が中心なのでその名がある。この時代は宮中行事も衰微していたが、古記録や古老の話などを参考に公事を復元しようと努力した。式次第や進行の状況の記述はかえって具体的になっている。 続群書類従 会員
凶服部類 不詳 不詳
典拠は後柏原院まで
平安後期から室町末期までの諒闇等凶礼に用いる装束に関する文献リファレンス資料。 続群書類従 会員
天皇元服部類 編者不詳 不詳 三度の天皇元服の様子を公家日記から抜粋したもの。寛仁元(1017)年・後一條天皇・『左経記』源経頼、嘉応三(1171)年・高倉天皇・『愚昧記』三條実房、永享五(1433)年・後花園天皇・『管見記』西園寺公名 群書類従 会員
世諺問答 一條兼冬
(1529-1554)
天文十三(1544)年 年中行事をQ&Aでズバリ回答したもの。この時代になると、私たちに身近な行事がいろいろと登場する。一條兼良が目次と最初の八箇条まで書いたあとを、曾孫である兼冬が補った。 群書類従 会員
正親町院御即位略次第
不詳 永禄三(1560)年 戦国時代末期、永禄三年(1560)に行われた正親町天皇即位礼の式次第。戦国期の皇室窮乏により即位の費用にも事欠き、践祚3年後に毛利元就ら戦国大名の援助によって即位礼を挙行した。 群書類従 会員
三内口決 三條西実枝
(1511-1579)
1570年頃? 戦国時代の公家学者、三條西実枝が北畠具房に有職故実の詳細を教えるための書いたもの。室町末期の有職故実全般について説明。平安時代とは全く異なる公家の風俗文化がわかる。『三光院内府記』とも。 群書類従 会員
蹇驢嘶餘 不詳 室町末期 織田信長に焼き討ちにされる直前の比叡山関係の、公家出身僧侶が書いたと思われる故実書。中心は僧中故実だが、比較として俗中の故実も紹介されている。戦国時代とあって、かなり先代とは様相を変えた装束等の故実が登場している。 群書類従 会員
百官和秘抄 清原 枝賢
(1520-1590)
天正十三(1585)年 関白豊臣秀吉のために、文武百官の早わかりガイドとして制作されたもの。当時には既に廃絶された官司もある。 続群書類従 会員
袷帷着用時節 不詳 天正十五(1587)年写 気候に応じた柔軟な着装の可否を柳原資定(1495〜1578)に尋ねた質問状の写し。 群書類従 会員
後水尾院当時年中行事
後水尾天皇
(1596-1680)
江戸時代初期 時代と共に大きく変化した、江戸初期の宮中の年中行事について、きわめて具体的かつ詳細に記述されている。平安以来の女房装束についても、ほぼ壊滅状態で、共通の衣を着回した様子も描かれる。(句読点を付し段落行変え) 改定史籍集覧 会員
見聞談叢
(巻之三)
伊藤梅宇
(1683‐1745)
1730年頃か 儒学者伊藤仁斎の子である梅宇(1683‐1745)の随筆的著作。内容は日本の歴史上のトピックス、伝承の由来、有職故実等々とバラエティー豊か。ここでは公家を扱った第三巻をアップした。ただし現代の研究レベルから見ると疑問の余地もないではなく、江戸中期以前の認識を示すもの。 岩波文庫 会員
故実拾要
(巻第十四)
篠崎東海
(1687〜1740)
1730年頃か 篠崎東海は儒学者で有職故実にも通じ、『故実拾要』は官職制度から儀礼、装束、書式等、公家社会・文化全般に亘り平易に解説した全集物。装束関連は第14巻。現在の研究レベルから見れば不明確な記述、あやしい部分も見受けられるが、逆に江戸中期の認識を知ることが出来る。 故実叢書 会員
保侶衣推考 伊勢貞丈
(1718-1784)
安永二(1774)年 貞丈は室町幕府政所執事の家系の出身で、武家の礼法・故実に通じ、江戸期に武家故実の第一人者と言われた。軍陣での保侶の意味について様々な文献にあたり、攻撃時に矢を防ぐことを目的とすると結論づけている。その手法に、江戸期の故実研究の一端が伺える。 鹿児島大蔵本 会員
御元服和抄 滋野井公麗
(1733〜1781)
安永九(1780)年 著者滋野井公麗(きんかず)は、江戸中期の公家。国学勃興・朝儀復興の機運に合わせて、同じく公家の野宮定基や裏松光世とともに有職故実の研究を行った。『御元服和抄』は天皇の元服式の、『亮闇和抄』は諒闇(天皇の服喪)び次第を細かく解説した書。それぞれ特徴的な装束の、江戸期の実相が見える。 改定史籍集覧 会員
亮闇和抄 改定史籍集覧 会員
玉くしげ 本居宣長
(1730-1801)
天明7(1787)年 江戸後期の代表的国学者、本居宣長による、政治の根本となるべき「まことの道」についてのべた書。日本古来の思想を崇敬するあまり、中国思想に対する敵愾心がむき出しとなっている。 岩波文庫 会員
玉勝間 文化九(1812)年 本居宣長による考証随筆集。思想信条をはじめ、大和言葉の語源、豆知識的内容にもあふれ興味深い。有職故実についても当時の知識レベルで語られている。 岩波文庫 会員
諸司職掌 不詳 江戸時代 江戸時代の宮廷における、各種地下官人の職務についてまとめたもの。 続群書類従 会員
装束集成 不詳 江戸末期? 装束に関するさまざな用語類を過去の文献から考証するリファレンスガイド。江戸期の研究レベルから玉石混淆の感はあるが、ともかく情報量と利便性に圧倒される。記述内容から、編者は高倉家に近い立場の人間であったと推測できる。
目次 巻101112
故実叢書 会員
幕末の宮廷 下橋敬長 述 大正十一(1922)年 幕末、孝明天皇の時代に一條家の侍であった博覧強記の下橋敬長の述によるもので、宮内省図書寮から刊行されたもの。内容は朝廷の表裏すべてに亘り、語り口は洒脱で分かりやすく、ユーモアに富む。儀式の装束が完備しているのは近衛家くらいのもので、他家は貸衣装屋に借りたとの逸話も臨場感豊かに語られている。
図書寮本 会員



龍鳴抄 大神基政
(1079-1138)
長承二(1133)年 大神基政は笛の名手で、『龍笛古譜』等の笛譜を撰集している。楽人として初めて従五位下に昇り、宮中の楽所を預かる雅楽允として堀河・鳥羽天皇の笛の師を務めた。『龍鳴抄』は雅楽各曲目の演奏ポイントを解説したもので、特徴ある舞楽装束についても触れている。 群書類従 会員
郢曲抄 後白河法皇? 平安時代末期 神楽・催馬楽・朗詠・今様・宴曲などの謡い方、歌謡の起源や特徴などを記す。『梁塵秘抄口伝集巻十一』と同一の内容。 群書類従 会員
順徳院御琵琶合 西園寺公相 承久二(1220)年 順徳院御前にておこなわれた琵琶合わせの出品目録と勝負について書かれた記録。順徳院は琵琶の演奏にも優れており造詣が深く、『禁秘抄』にも宝物玄象などについても触れている。 群書類従 会員
雑秘別録 藤原孝道
(1166-1237)
嘉禄三(1227)年 藤原孝道は、「妙音院」と呼ばれた音楽家の太政大臣、藤原師長に仕えた西(院禅)流琵琶の名手。この書では楽屋話、秘伝、評論などを各曲目について紹介している。 群書類従 会員
八音抄 鎌倉時代中期 琵琶の製作について説かれた書。孝道は木工権守、尾張守という官歴の地下人であり、宮中名器の琵琶「玄象」を弾くことは出来なかったが、その修理に携わった。 群書類従 会員
残夜抄 鎌倉時代中期 演奏のTPO、教育、音階について、楽器のこと等、13段にわたって管絃に関するさまざまな知識をまとめた入門書的内容。随所に「女房はこれくらいの知識を持つこと」的な文章が散見される。 群書類従 会員
糸竹口伝 俊鏡 嘉暦二(1327)年 雅楽のひとつの拠点である天王寺楽所の僧が、笛や琵琶などの楽器の名物紹介、流派についてや雅楽舞楽に関するエピソードなどを集めたもの。 群書類従 会員
舞曲口伝 豊原統秋
(1450-1524)
永正六(1509)年 豊原氏は笙の演奏の家。統秋は三條西実隆とも親交があり、雅楽頭となった翌年に舞曲の由来や装束、演奏の特徴などをカタログ的にまとめた本書を著した。 群書類従 会員
東遊・風俗 不詳 不詳 素朴で自然と共に生きた上代の大和民族の心情と風俗を歌い上げた素朴な歌謡雅楽が「国風歌舞」。そのの各演目の歌詞集。おまけで東遊びのさわりを (RealPlayer ) 群書類従 会員
木師抄 不詳 不詳 鎌倉時代頃かと思われる楽書。琵琶を中心とした雅楽演奏の順序、男女別装束別に琵琶の構え方を具体的に説明している。 群書類従 会員
夜鶴庭訓抄 藤原伊行
(1139-1175)
平安後期 「三蹟」のひとりとして知られる藤原行成から生まれた世尊寺流五代目の伊行が入木道(書道)の心得を自分の娘に書き与えた奥伝書。 群書類従 会員
才葉抄 藤原教長
(1109-1180)
安元三(1177)年 藤原教長高野山の庵室で口伝した入木道の心得を息子の藤原伊経が筆記したとされる秘伝書。 群書類従 会員
入木抄 尊円親王
(1298-1356)
文和元(1352)年 尊円親王は青蓮院流の書道を興した能書家として知られている。筆の持ち方から用具類の扱いなど内容は多岐に渡っているが、上の二書と比較すると、やや精神論が強調されているところがある。 群書類従 会員
和歌作法条々 東常縁
(1407-1484頃)
文明十八(1486)年 東常縁は室町幕府奉公衆で、冷泉派の清巌正徹に和歌を学び、古今伝授の祖としても知られる。本書は和歌懐紙、短冊などの扱いなど歌会での作法などが記載されており、和歌披講の研究には重要な文書。 宮内庁本 会員
後奈良院御撰何曽 後奈良天皇
(1497-1557)
永正十三(1516)年 天皇勅撰のナゾナゾ集。語呂合わせや漢字の構成からの出題など。解説書として幕末の国学者、本居内遠が1849年に書いた『後奈良院御撰何曽之解』もあわせて。 群書類従 会員
成通卿口伝日記 法眼定暁 建久六 (1195)年 「蹴鞠の神様」と呼ばれる藤原成通(1097〜?)の口伝をまとめたとされる書。蹴鞠の練習方法や試合に臨む心構えが具体的かつ判りやすく記されている。現在の鞠水干と異なる狩衣等の鞠装束が判る。のち蹴鞠界では「三十箇条式」等と呼ばれ聖典化した。 群書類従 会員
蹴鞠簡要抄 不詳 不詳
鎌倉時代?
藤原成通の『口伝日記』や賀茂成平(社家流の祖)の口伝など、過去に語られた内容をとりまとめた蹴鞠書。儀式化する前のスポーツとしての蹴鞠の実相が見える。 群書類従 会員
遊庭秘抄 御子左為定
(1293-1360)
室町時代初期 蹴鞠の根源、基本的なルールや作法、会場設営、韈の身分的区分、各種装束を詳しく紹介した決定版と言える内容の書。蹴鞠の家としては飛鳥井・難波家が有名だが、かつては冷泉(御子左)家も家業としていた。 群書類従 会員
貞治二年御鞠記 二條良基 貞治二(1363)年 後光厳院の晴の御鞠。蹴鞠の式次第、装束、蹴鞠の歴史がよく判る。蹴鞠装束がこの時代まで特別なものではなかったことも理解できる。 群書類従 会員
享徳二年晴之御鞠記 一條兼良 享徳二(1453)年 二條良基の記になぞらえた記録。100年の間に移り変わった事柄もわかる。足利八代将軍義政が大納言として出場。兼良は光源氏の様と誉め称えている。 群書類従 会員
鷹百首 西園寺公経
(1171〜1244)
鎌倉時代前期 西園寺家の祖、公経は鎌倉幕府との関係が深く承久の乱後の朝廷で権力を振るった。鷹狩に造詣が深く、和歌形式で鷹狩の楽しさや心得、技術なども説く。 群書類従 会員
白鷹記 二條道平 嘉暦二(1327)年 信濃国の住人称津神平が、今まで見たこともない素晴らしい白鷹を朝廷に献上したことの記録。過去の名鷹のことも記されている。 群書類従 会員
嵯峨野物語 二條良基 至徳三(1386)年 短文の鷹書。鷹狩の歴史と実際(鷹の名称、行幸の次第、装束など)を詳細に記した書。馬鷹のことは「公家のしろしめすべきこと」と主張している。題名は、承保二(1075)年の白河天皇嵯峨野行幸について詳しく記しているため。 群書類従 会員
鷹三百首和歌 藤原定家
(仮託)
天文八(1539)以前 定家には鷹飼を詠んだ和歌も多いが、この書は定家の名を借りて、定家自身の歌に混在させながら、長い時代の多くの鷹飼道歌を寄せ集めたともの考えられる。西園寺公経の『鷹百首』と同じ歌もある。 群書類従 会員
禰津松鴎軒記 禰津信直 慶長九(1604)年 武家の放鷹術書。禰津家は諏訪社家の一流ともいわれ、諏訪大社の贄鷹儀礼と結びついて、禰津流を確立した。この書は鷹の羽色等についての用語解説が詳しい。 群書類従 会員
国牛十図 河東牧童
(寧直麿)
延慶三(1310)年 鎌倉時代末期のブランド牛図鑑。但馬牛や丹波牛など今に伝わる銘牛が登場するが、当然ながら食用ではなく牛車をひく牛である。 群書類従 会員
駿牛絵詞 不詳 室町初期? 現代のカーマニアのように牛車や牛にこだわった貴族達。本来は名牛図鑑の解説編だったようだが、絵は早いうちから散逸してしまった。「駿牛」と呼ぶように、スピードレースをするほど速力の高い牛が珍重されたようだ。 群書類従 会員
薫集類抄 藤原範兼
(1107-1165)
長寛年間
(1163-65)
二條天皇の勅命にて編纂した、香に関するリファレンスガイド。香に関する最古のガイドブックである。上巻は各種練香の調合レシピを作者別に示し、下巻は練香製造法を示している。香道発展のために一般公開します。 群書類従 公開
後伏見院宸翰薫物方 後伏見天皇
(1288〜1336)
鎌倉時代末期 平安から室町時代までは薫香とは、各種の香料を混合して丸薬状にした「練香」が主体で『源氏物語』にも登場する。その練香の製法、たき方を具体的に記したもの。 群書類従 会員
むくさのたね 後小松天皇
(1377〜1433)
15世紀初頭? 同じく練香の製法書。「むくさ=六種」とは、代表的とされる六種類の調合法による練香(梅花・荷葉・菊花・落葉・侍従・黒方)のこと。詳しくはこちらを。 群書類従 会員
名香目録 玩隠 永雄 慶長六(1601)年 室町後期、三條西実隆により創始されたとされる香道は、練香と異なり原木をそのまま焚くことが特徴。その名香木の名称と種類、香り方を紹介したもの。 群書類従 会員
喫茶養生記 栄西禅師
(1141-1215)
建暦元(1211)年 宋国留学中に知った健康法をまとめたもので、上巻は茶の効能、下巻では主に桑を用いた生活習慣病の治療法。別名は『茶桑経』で全巻お茶づくしの内容ではないが、日本に喫茶習慣を広めた著作とされる。 群書類従 会員
厨事類記 紀宗長 1300年頃 現存最古の料理書で、鎌倉時代後期における宮中・皇族の食器・配膳様式・献立等を記したもの。「唐菓子」と呼ばれるドーナツのような食物の製法も紹介されている。 群書類従 会員
四條流包丁書 多治見貞賢 長享三(1489)年 日本料理の基礎が固まった鎌倉・室町の料理についての書。四條流は公家・上流武家に用いられた料理の流派で、伝説では藤原山蔭が光孝天皇の命で、料理の新しい方式を定めたのに始まると伝えている。 群書類従 会員
大草殿より相伝之聞書 不詳 室町後期 本膳料理の食事作法・調理についての書。箸の上げ下ろしにも細かな決まりがあった。こうした料理は儀式用の「見る料理」である。醤油が未登場で、基本調味料は「酒塩」。よって時代的には室町後期と想定される。「カワウソの丸焼き」などという料理も登場! 群書類従 会員
武家調味故実 不詳 天文四(1536)年 主に鳥料理の調理法と盛り付け(ディスプレイ的)の方法を解説した書。タイトルに「武家」とあるが、奥書には、四條隆重(1507-1539)より伝授された、とある。妊娠中の禁忌及び推奨食材の記述も。 群書類従 会員
包丁聞書 不詳 室町末期
(1550年頃)
判りやすい筆致で料理の方法が語られている。醤油が未登場なこととで『大草家料理書』より前、今のようにナスを用いた「しぎ焼き」になっていることから、本物の鴫を用いている『武家調味故実』よりは後の作品であろうことも推測される。 群書類従 会員
大草家料理書 不詳 桃山〜
江戸初期?
大草家は足利将軍家の料理番で、四條流の流れを汲む。本書は醤油の製造が始まった16世紀末頃に書かれたとされ、式正料理のほか「南蛮焼き」「ウナギの蒲焼き」など現代の日本料理に近いメニューが並ぶ。 群書類従 会員
酒食論 不詳 室町時代? 上戸と下戸が、酒と飯(餅菓子なども)の効能を訴え、相手をけなす文と、酒&食双方をほどほどにこなす「中戸」の文。いつの時代も変わらぬ論争?の戯書。奥書に「一條兼良の作か?」とあるが甚だ疑問。 群書類従 会員
作庭記 橘俊綱
(1028〜1094)
平安末期 寝殿造り庭園の地割や石組、滝・遣水、植裁等の技法について具体的に記した秘伝書。四神相応の思想が濃く反映性している。著者は修理大夫であった橘俊綱とされる。彼は関白藤原頼通の実子で、伏見に風情あふれる庭を持つ邸宅を建て、盛んに歌会などを催した。 群書類従 会員
嵯峨流庭古法秘伝 不詳 室町時代? 室町時代における公家と武家の文化的融合は造園にも影響を与え、心字池に亀島を浮かべ、三尊仏石・蓬莱石を配置し、槙や楓で背景となる山を築く「嵯峨流」は、「四條流」と並び造園界を長くリードした。 造園古書叢書 会員
占事略决 安倍晴明? 10世紀? 時刻を元にして天文と干支術を組み合わせた占い「六壬神課」のガイドブックで、安倍晴明が子孫に書き残したとされる書。子孫の安倍泰統の写本が残る。 日本陰陽道史総説 会員
神道五部書 度会行忠等 鎌倉時代? 伊勢神道の五種類の根本経典の総称。外宮の神官が、内宮に対する地位向上を目指して古伝を加味しつつ奈良時代以前の古書に偽装して創作したものとされる。錦など御神宝の由来なども記されている。『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』『豊受皇太神御鎮座本記』『造伊勢二所太神宮宝基本記』『倭姫命世記 国史大系 会員


大鏡 不詳 12世紀 文徳天皇即位から後一条天皇の万寿二年(1025年)に至るまで176年間の天皇と大臣の歴史を、道長の栄華を軸にして、大宅世継(190歳)と夏山繁樹 (180歳)という二人の老人が語り合うという対話形式で書 かれている。 岩波新大系 会員
今鏡 藤原為経? 嘉応二(1170)年 『大鏡』の後を受けた後一条天皇の万寿二年(1025年)から高倉天皇のまでの13代を描いている。政治的な内容よりも公家文化に関する話題が中心となっており、強装束装束の祖である源有仁についても詳しく描かれる。 国史大系 会員
水鏡 不詳
(中山忠親?) 
12世紀末 73歳の老婆が、長谷寺に参籠中の夜、修験者が現れて神武天皇から仁明天皇まで57代の事跡を語るのを書き留めたという形式になっている。四鏡の中ではもっとも古い時代を語っている。 国史大系 会員
増鏡 不詳
(二條良基?) 
南北朝時代 寿永二年(1183年)の後鳥羽天皇の即位から元弘三年(1333年)後醍醐天皇が隠岐に流され、その後、京都に戻るまでの、鎌倉時代150年の事跡を朝廷公家の生活中心に述べている。 岩波文庫 会員
















古事記 太安万侶 和銅五(712)年 朝廷の語部、稗田阿礼が暗誦していた帝紀・旧辞を太安万侶が書き記し、編纂したもの。日本最古の歴史書で、神話世界が物語り風に綴られている。 岩波新大系 会員
常陸国風土記 常陸国司 養老五(721)年 『風土記』は和銅六(713)年に全国各国に編纂が命じられた地誌だが、現存するものはわずか。『常陸国風土記』も完全ではない。全編にわたり、「常陸の国は常世の国(極楽)」という豊饒さを謳歌している。 群書類従 会員
古語拾遺 斎部広成 大同二(807)年 朝廷の祭祀氏族「忌部」氏が同じ職務の中臣氏と比較して低い地位とされていることに抗議し、古代忌部氏の活躍とその正統性を主張したもの。 岩波文庫 会員
日本霊異記 景戒 弘仁十三 (822)年? 日本最古の説話集で、正式名称は『日本國現報善悪霊異記』。「因果応報」「霊験あらたか」な話など、仏教の教えを判りやすく具体的に示す逸話が116話おさめられている。 岩波新大系 会員
先代旧事本紀 興原敏久? 828年頃? 聖徳太子と蘇我馬子による日本最古の国史の偽した書。内容は記紀などを継ぎはぎしたものが大部分だが他に類のない物部氏中心の記述など、現存しない文献からの引用ではないかとの説もある。 国史大系 会員
土佐日記 紀貫之 承平五(935)年 土佐の国司の任を終えて京へ戻るまでの55日間の紀行を女性作者を装って平仮名で綴った日本最古とされる日記文学。 岩波新大系 会員
将門記 不詳 天慶三(940)年? 桓武天皇の曾孫、平将門が一族で抗争を起こし、やがて関東諸国の国衙を襲い、新皇を自称し朝廷から独立しようとした乱の顛末を描く。奥書に乱後すぐの日付があるが、11世紀頃の作との説もある。 東洋文庫 会員
竹取物語 不詳 10世紀初頭? 日本最古の物語。いわゆる「かぐや姫」のお話で、竹から生まれた美しい姫君が、数々の求婚を退けて月の世界に戻るまでの物語。 岩波新大系 会員
伊勢物語 不詳 平安時代前期 在原業平の恋愛をめぐる説話を中心とした歌物語。のちの文学会に大きな影響を及ぼした。平安時代初期の内容のため風俗習慣は摂関期とは異なる様相。 岩波新大系 会員
平中物語 不詳 10世紀中頃? 平安中期のプレイボーイ、平貞文(?-923年)のラヴアフェアーを綴った歌物語。伊勢物語の影響を受けているとされる。実際の平貞文の行状そのもかどうかは不明。 岩波新大系 会員
落窪物語
不詳
(源順?)
10世紀後期 美貌の落窪姫君が、継母からのいじめを逆転するシンデレラストーリー。『源氏物語』に先立つ古い物語で、『枕草子』にも言及されており、当時の貴族社会の実相がよく判る。 新潮集成 会員
住吉物語 不詳 10世紀後半? 『枕草子』『源氏物語』以前に成立していたが早くに散逸したため、鎌倉時代の擬古典扱いされることも。内容的には継子の成功談で『落窪物語』に似る。 岩波新大系 会員
多武峯少将物語 不詳 960年代? 藤原高光(939?-994)が応和元(961)年8月に出家、多武峯の草庵に移住するまでの惜別のあれこれを、高光と妻、妹らとのあいだでかわされた和歌を中心とした内容。山は夏でも冷えると、黒貂の皮衣が贈られている。 群書類従 会員
蜻蛉日記 藤原道綱母 天延三(975)年頃 藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫との争い、夫の妻妾を巡る心情が書かれている。また貴族社会のあれこれが克明に記されている。 岩波新大系 会員
枕草子 清少納言 10世紀末 言わずもがなの日本を代表する古典エッセイ。千年前の女性が現代のキャリアウーマンと同じ感情と行動力を持っていたことが新鮮な驚き。装束に関する記述も豊富です。読み易さ優先で大胆に漢字変換しています。 岩波新大系 会員
和泉式部日記 和泉式部 寛弘四(1007)年頃 三十六歌仙の一人、和泉式部によって記された日記。女流日記文学の代表的作品として知られ、平安を代表する歌人である和泉式部にふさわしく、日記のなかにふんだんに出てくる和歌の贈答の場面がこの作品の特徴。 三條西本 会員
源氏物語 紫式部 11世紀初頭 平安時代を代表する文学作品であるだけでなく、世界の女流文学の最高峰とも位置づけられている日本文学界の至宝。
平安時代の史的研究には不可欠であり、鎌倉時代以降に盛んに行われた、有職故実・装束に関する研究も、源氏物語の記述をもとにしたものが多い。
岩波新大系 会員
紫式部日記 寛弘七(1010)年頃 寛弘5年(1008年)秋から同7年正月にかけての上級貴族達の生活が生き生きと描写されている。『源氏物語』に対しての世判や、同僚和泉式部や赤染衛門、ライバル清少納言らの人物評なども女性装束についても詳しい。 岩波新大系 会員
更級日記
菅原孝標女 1020年から1059年まで 約40年間書かれた日記。源氏物語を読みふけ、物語に耽った少女時代から、老年までが平明な文体で描かれている。錯簡があり順不同の趣あり。 岩波新大系 会員
新猿楽記記 藤原明衡
(989?-1066)
11世紀半ば 猿楽(さるごう・この当時は滑稽な雑芸や曲芸など)見物に訪れた、右衛門尉一家の特徴を述べた記事に仮託して当時の各種職業や文物などを列挙した、物尽くし風の戯文の書。「往来物」の元祖とも言われる。 東洋文庫 会員
讃岐典侍日記 藤原長子
(1079-?)
平安後期 長子は堀河天皇の乳母の妹で、典侍として天皇に仕えた。日記は上下巻にわかれており、上巻は病弱な堀河天皇の看護生活と看取りを、下巻は鳥羽天皇についてを描いている。 小学館新編 会員
今昔物語集 不詳 平安時代後期以降 平安時代末期に完成したと考えられている説話集。文体は庶民的で荒々しく、目に見るような臨場感にあふれた魅力がある。内容は天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の3部構成で、ここではもっとも装束研究に関連するであろう「本朝世俗部」をデータ化した。 岩波新大系 会員
堤中納言物語 不詳 平安時代後期以降 平安時代後期の短編物語集。10編の短編物語および1編の断章からなり、恋模様を中心とした貴族の生活がかいま見える。成立年代や筆者は章により異なる。実在の堤中納言(藤原兼輔)は無関係。 新潮集成 会員
陸奥話記 不詳 11世紀後半 前九年の役を描いた軍記物。戦の後、源義家が従五位下に叙されたところで終わる。義家の娘は「強装束」の生みの親、左大臣源有仁の父である輔仁親王に仕えるなど関係が深い。 群書類従 会員
梁塵秘抄 後白河法皇 平安時代末期 「今様」と呼ばれる歌謡を熱愛した後白河法皇がまとめた集成本。現在に伝わるのはごく一部のみで殆ど宗教的内容だが、368番目に強装束を歌った内容がある。 岩波文庫 会員
梁塵秘抄口伝集 今様を熱狂的に愛した後白河法皇が自ら綴る歌謡半生記や、今様の歴史、歌い方の心得や、音律や拍子など内容は多岐にわたり、別種の本の寄せ集めとする説もある。欠落部分が多い。 会員
とりかへばや物語 不詳 平安末〜鎌倉初期 兄が女性として、妹が男性として育てられ、それぞれが宮中に出仕したが、成長と共に不都合な現実と向き合い、やがて互いが入れ替わって関白・中宮にまで出世するという、性的倒錯がテーマの古典奇譚。 岩波新大系 会員
宇治拾遺物語 不詳 13世紀前半 貴族から庶民までの幅広く登場する説話集。仏教説話から猥雑珍妙な話、駄洒落的滑稽談など内容は実にユニークで豊富。おなじみ「こぶとり爺さん」「藁しべ長者」「芋粥」のほか、伴大納言絵詞の題材など、その後の日本文芸界に大きく影響を与えた。 岩波新大系 会員
保元物語 不詳 鎌倉時代前期 有職故実にも詳しかったインテリ、藤原頼長が兄忠通と対立し、平清盛・源義朝に破れた保元の乱を描いた軍記物。 岩波文庫 会員
平治物語 不詳 鎌倉時代前期 藤原信頼と源義朝が平清盛に敗れた平治の乱を描いた軍記物。悪源太義平(源義平)を悲劇の英雄として描く。 岩波文庫 会員
方丈記 鴨長明
(1155-1216)
建暦二(1212)年 移りゆく風俗や人情、物への執着心からの解脱を説く、無常観をベースとした人生論。平家福原時代に直垂が衣冠や狩衣にとって替わったとの記述もある。 岩波文庫 会員
愚管抄 慈円
(1155-1225)
承久二(1220)年頃 慈円は院政期の関白忠通の子。内容は神武天皇から順徳天皇までの年代記、末法思想と「道理」の理念からなる歴史的叙述。公家から武家に権力が引き継がれる様子がわかる。 岩波新大系 会員
平家物語 不詳
信濃前司行長?
鎌倉時代 平氏の栄華と源平合戦、平氏滅亡と、一連の栄枯盛衰を描く軍記物。滅び行く平家の公達への思い入れも強く、その華やかな装束はかなり詳細に描かれる。 岩波新大系 会員
今物語 藤原信実
(1177−1265)
延応元年(1239)以降 画家でもあった歌人、藤原信実の編。信実は、「三十六歌仙絵」の作者としても有名。鳥羽上皇以降の、貴族たちの恋の贈答歌や、宮廷裏話、失敗談などが面白く描かれる。 群書類従 会員
弁内侍日記 弁内侍 1246年〜1252年 弁内侍は藤原信実の娘。後深草天皇の即位の年から始まり、年中行事の実相、宮中の出来事が記されている。後半は欠落が多い。登場する少将内侍は実の妹。 群書類従 会員
源平盛衰記 不詳 1250年頃 平家物語と類似した軍記物。源氏・平氏関係の記事のほか、仏教説話や、中国故事、日本上代の説話などが増補されている。「十二単」という単語の分献上の初出。 改訂史籍集覧 会員
十六夜日記 阿仏尼
(安嘉門院四条)

(1220?-1283)
弘安三(1280)年 夫藤原為家の遺産相続を巡る訴訟のため鎌倉に下向した阿仏尼の、道中日記および鎌倉滞在中の日記。当時の東海道の名所などを織り込んだ歌の数々が楽しくもある。 岩波新大系 会員
乳母のふみ 1280年頃 娘の「紀内侍」に与えた教訓書で、立ち居振る舞いから宮中での人々との接し方などが書かれている。別名『庭の訓』。 群書類従 会員
中務内侍日記 藤原経子 1280年〜1292年 著者は、高倉家の遠祖、藤原永経の娘で伏見天皇に仕えた藤原経子。
即位の大礼や大嘗祭など、さまざまな儀式について簡潔に記されており、また装束についても記されている。中堅実務女房の記録は臨場感があって貴重。
岩波新大系 会員
撰集抄 不詳
(西行に仮託)
鎌倉時代 西行法師に仮託された説話集。「無情」をテーマとして、公家や武家、遊女などの世界から隠遁した者たちのあり様を描いている。フィクションが多く、史料的な価値は低いとされる。 岩波文庫 会員
無名草子 不詳 鎌倉時代 皇嘉門院(藤原忠通の娘)の母、北政所に仕えた八十三歳の老尼と、東山の麓に住む若い女房たちの対話形式をとって物語批評を行ったもの。 群書類従 会員
吾妻鏡 不詳
(北条氏?)
鎌倉後期? 1180年の頼朝挙兵から1266年までの鎌倉幕府の事績や自然現象等を記した准公的記録。幕府の実相や各儀式の装束、正装の変遷などが見てとれる。 国史大系 会員
とはずがたり 後深草院二条 正和二(1313)年頃 後深草院に仕えた女房、二条の14歳〜49歳ごろまでの境遇、亀山帝や恋人たちとの赤裸々な関係、宮中行事、尼となってからの諸国漫遊の旅などがつづられている。 フィクションも含まれているとの研究もある。 新潮集成 会員
徒然草 吉田兼好
(1283-1350)
鎌倉時代末期 『枕草子』『方丈記』と並び日本三大随筆とされる。鎌倉時代の村上源氏たちの行動などを中心に有職故実についても語られている。 岩波新大系 会員
神皇正統記 北畠親房
(1293-1354)
暦応二(1339)年 神代からの歴代天皇の事績を綴り、後醍醐天皇の子、後村上天皇まで描く、南朝正統論。意外に客観的な内容で、承久の変については後鳥羽上皇を非難している。 岩波文庫 会員
奥州後三年記 玄慧法師
(1279-1350)
承和三(1347)年 後三年の役を描いた軍記物。源義家の大活躍を文武両道の名将として描く。一方『梁塵秘抄』では「同じき源氏と申せども八幡太郎はおそろしや」(444)と、武家の源氏の威力が語られる。 群書類従 会員
太平記 不詳 1370年頃 鎌倉幕府滅亡から南北朝時代。1318年〜1368年までを描く軍記物。「婆娑羅」と呼ばれる実力を持った下克上の成功者による故実無視の文化創造を批判的に見る。 国民文庫 会員
義経記 不詳 室町時代前期 いわゆる「義経物語」で、歴史的事実よりも御伽話的要素が強い内容。後の能や歌舞伎に大きな影響を与え、弁慶の活躍エピソードなどもここで語られたのが始まり。 岩波新大系 会員
秋の夜の長物語 不詳 室町時代前期 宗教的教訓の性質をもつ稚児物語 群書類従 会員
お伽草子 不詳 室町時代 室町時代から江戸時代初期にかけて成立した、おなじみ「浦島太郎」や「一寸法師」など、お馴染みのストーリーを含む、100編以上の物語を総称したもの。ここではそのうち、「鳴門中将物語」など古い20編の物語を掲載。 日本文学大系 会員
近世畸人伝(正続) 伴蒿蹊
(1733‐1806)
寛政二(1790)年
寛政十(1798)年
中江藤樹、貝原益軒、賀茂真淵ら、近世の「奇特な人々」の行状を描いた人物奇譚集。武士や学者から遊女、商人、木こりに至るまで、多くの人物が描かれる。近世畸人伝と続近世畸人伝。 東洋文庫 会員
養生訓 貝原益軒
(1630-1714)
正徳二(1712)年 益軒83歳の実体験に基づいて書かれた健康教訓書。長寿のためには身体の養生のほかに、心の養生も説くというところに特徴がある。 中村学園 会員
和俗童子訓 宝永七(1710)年 日本最初の体系的教育書。江戸時代の寺子屋教育に強い影響を与えた。 中村学園 会員




懐風藻 不詳
淡海三船?
天平勝宝三(751)年 日本最古の漢詩集。約120篇の詩からなり、作者はほとんどが皇族や貴族。作風は完全な唐風で、和歌より漢詩の方が重要視されていた奈良時代の文化風土を示す。 群書類従 会員
凌雲集 嵯峨天皇
勅撰
弘仁五(814)年 最初の勅撰漢詩集。嵯峨天皇の命により小野岑守、菅原清公、勇山文継が撰定。嵯峨天皇、小野岑守ら作者24人、91首の漢詩を収める。
『文華秀麗集』『経国集』と合わせ「勅撰三集」と呼ばれ、作者名も中国風に表記するなど、平安初期の唐模倣文化頂点期を代表する作品。
群書類従 会員
文華秀麗集 嵯峨天皇
勅撰
弘仁九(818)年 第二の勅撰漢詩集。嵯峨天皇の命により藤原冬嗣、仲雄王、菅原清公、勇山文継、滋野貞主らが撰定。嵯峨天皇、巨勢識人ら作者24人、148編の漢詩を収める。 群書類従 会員
経国集 淳和天皇
勅撰
天長四(827)年 第三の勅撰漢詩集。淳和天皇の命により良岑安世、滋野貞主、南淵弘貞、菅原清公らが撰定。707年以降の178人の917にも及ぶ詩などを集録し、内容は従来よりバラエティーに富む。全20巻中現存6巻。 群書類従 会員
和漢朗詠集 藤原公任撰 寛仁二 (1018)年 朗詠(漢詩の秀句に旋律をつけて歌うこと)に相応しい漢詩・和歌を細かく部類して収めたもの。公任が自分の娘の結婚の引出物として編纂したといわれる。 学術文庫 会員
万葉集 大伴家持? 天平宝字三(759)年以後 日本最古の歌集で、天皇から名もない防人たちまでが詠んだ歌を4500首以上も集めたもの。後の和歌のような技巧にとらわれない素直な「ますらをぶり」が長く愛されている。ここでは検索等の利便を図りexcelファイルとした。 岩波新大系 会員
古今和歌集 醍醐天皇
勅撰
延喜五(905)年以後 天皇の命令による国家事業としての和歌集の第一号。20巻で構成され、歌数は総数1111首。仮名序は紀貫之の筆で、日本最古の歌論としても文学的に重要なものである。 小学館新編 会員
後撰和歌集 村上天皇
勅撰
天暦五(951)年以後頃 『古今集』から間もないこともあり、古今の歌人の作が中心となっているが、女流歌人の活躍も見られる。贈答歌など生活に基づいた「褻の歌」が多いのも特色。 国歌大観 会員
拾遺和歌集 花山院?
勅撰
寛弘三(1006)年頃 前代の勅撰集に漏れた秀歌を拾い集める意で名付けられ、古今歌人とともに柿本人麿ら万葉歌人の作も登場する。わかりやすく優美な歌風で、すぐれた恋歌が多い。 国歌大観 会員
後拾遺和歌集 白河天皇
勅撰
応徳三(1086)年 華やかな摂関期を追慕した内容を持ち、和泉式部・相模・赤染衛門など一條天皇時代に活躍した女流歌人の作が多い。作者も作風も多様で、撰定当時批判されたほど率直な情感を表す歌が多く収められる。 国歌大観 会員
金葉和歌集 白河院
勅撰
天治二(1125)年頃 「金葉」とはもっとも優れた言葉を意味する。以前の勅撰集と比べ、新しい表現、誹諧味や田園趣味にあふれ、伝統派からは「珍奇」とされた。時代の流れを感じる。 国歌大観 会員
詞花和歌集 崇徳院
勅撰
仁平元(1151)年頃 『金葉集』と類似した作風の歌が多い。激動の時代に相応しい諧謔味にあふれ、後に「あまりにをかしき様」との批判もある。 国歌大観 会員
千載和歌集 後白河院
勅撰
寿永二(1183)年 撰定には『金葉』『詞花』よりも格調と抒情性が重んじられている。「幽玄」の境地、本歌取りなどが特色。同時代の歌人の作が多いのも特徴。 国歌大観 会員
新古今和歌集 後鳥羽上皇
勅撰
元久二(1205)年 古今和歌集後の一連の勅撰和歌集(八代集)の最後を飾る。歌数約1980首。情調的で韻律を踏み、技巧的な「新古今調」が特徴。後世の歌壇に大きな影響を与えた。 新潮集成 会員


 



後漢書 范曄
(398-445)
5世紀 「東夷伝(倭)」書かれた時期は三国志よりも後。倭人の服装は「其男衣皆横幅結束相連。女人衣如單被貫頭而著之」。はだしで皆入れ墨をしていたとある。 会員
魏志 陳寿
(233-298)
3世紀 「烏丸鮮卑東夷伝(倭人)」「其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。」 会員
隋書 魏徴・
長孫無忌
656年 「東夷伝(倭国)」「故時衣横幅、結束相連而無縫、頭亦無冠、但垂髪於兩耳上、至隋、其王始制冠、以錦綵爲之、以金銀鏤花爲飾。」と、やっと装束らしくなる。 会員
旧唐書 劉?(日+句) 945年 「東夷伝(高麗・百済・新羅・倭国・日本)」「以明貴賤等級。衣服之制、頗類新羅。」とあるので、朝鮮半島の記述も掲載。 会員
新唐書 欧陽脩 1060年 「日本伝」「其俗椎髻、無冠帶、跣以行、幅巾蔽後、貴者冒錦;婦人衣純色裙、長腰襦、結髪于後。」 会員