延喜式は養老律令の施行細則を集大成した古代の朝廷運営マニュアル。内容が詳細で具体的なため、 古代史の研究に不可欠の文献といわれています。当然ながら装束に関する記述も全巻にわたり豊富です。 延喜五(905)年、醍醐天皇が左大臣藤原時平に命じて編纂開始。延長五(927)年に完成奏上され、その後修訂が加えられて康保四(967)年に施行されました。
 全50巻、約3300条からなり、神祇官(巻1〜10)、太政官八省(巻11〜40)、その他の官司(巻41〜49)及び雑式(巻50)と、 律令官制順に配列されています。本居宣長が記紀・万葉・六国史に次いで見るべき書として本書をあげているほど神祇関係の記述が多く、古代の朝廷が「まつりごと」の機関であったことを示しています。
 ここでは装束研究に資すべく、延喜式全文(読み仮名を除く)を掲載し、検索可能としました。底本は『新訂増補国史大系26 延喜式』です。


巻数 官司 管掌官司 職 掌 ・ 摘 要 唐名
上延喜格式表
序文
延長五(927)年12月26日、左大臣藤原忠平が天皇に奏上した完成報告書「上延喜格式表」、延喜式の沿革と意義、編集者名、苦労を綴った「延喜式序」。
1〜10 神祇官 神祇の祭祀儀式・祭典、鎮魂・卜兆などを統括担当し、全国の神社や祝部を管理する。「まつりごと」機関としての朝廷において最上位であったが、トップである神祇伯の相当位階は従四位下と低く、実質的には太政官に支配された。巻8には「祝詞」が収められ、巻9〜10の「神名帳」には当時尊崇された神社が列記されており、現代でもその格付は尊重されている。 大常寺
11 太政官 立法・行政・司法すべての政治を総轄し八省百官を統括する最高機関。御璽・官印や駅鈴を管理する秘書部局「少納言局」、中務省・式部省・治部省・民部省を指揮監督する「左弁官局」、兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省を指揮監督する「右弁官局」が置かれた。朝廷を支える太政官の地下官人は、江戸時代に至るまで古式の「入襴の袍」を誇りを持って着た。 尚書省
12 中務省 天皇の身辺諸事を補佐し、詔勅の宣下、考課叙位・位記関係など、オフィシャル面で天皇を補佐する職務を担当。長官である中務卿は親王から任命された。侍従・内舎人・内記・監物・主鈴・典鑰は中務省の所属官。天皇侍衛の侍従及内舎人は文官だが帯劒することとされた。 中書省
中宮職 后妃に関わる事務全般を担当。全ての后妃の世話を行うために設置されたが、後に皇后と中宮、皇太后などの並立により、「皇太后宮職」などそれぞれ専属の職が置かれることとなった。 内侍省
13 大舎人寮 供奉・内裏宿直をして天皇の様々な雑用をこなす「大舎人」を統括し、名簿・勤務・組分・容儀の管理を担当。より上位の官吏養成ステップとしても機能した。 宮韋局
図書寮 宮中の書籍・図書の保管と書写、国史の編纂、諸役所への紙・筆・墨などの文房具の製造と支給を担当。現在の国立図書館的な役割を担っていたが、後には文房具支給が業務の中心になった。図書寮官人には、即位式において文治主義を表現する重要な役割があった。 麟台
14 縫殿寮 宮中の衣服製造の管理監督、そして後宮女官の人事考課を担当。11世紀後半になると天皇の衣服を縫製する御服所が内蔵頭邸に設置され、やがて貴族邸や院にも御服所が設置されるに及び、縫殿寮は有名無実化した。染色材料の記述は貴重。 尚衣局
15 内蔵寮 皇室の宝物や日常用の物品・装束の調達と管理及び官人への下賜事務、皇室の私的倉庫「内蔵」の出納管理を担当。官営工房として各種装束を製造した。のちに内蔵頭を山科家が世襲して邸内に「御服所」を設置、装束(衣服)のハードウエア面を支配した。 倉部寮
16 陰陽寮 天文・気象の観測、暦の製作、吉凶の占い等呪術全般、時刻の報知を担当。陰陽師を養成する陰陽博士、占星術を教授する天文博士、暦作成を教授する暦博士が置かれ、その下で学生・得業生が学んだ。また、漏刻博士は時計を管理して時報を行った。 司天台
17 内匠寮 宮中や斎院・野宮の備品・調度品、儀式に関する用具の製作・装飾を担当。多くの技術者「雑色作手」の手によって運営されていた。後に作物所や木工寮・修理職に職掌を奪われ衰微した。 少府監
18〜19 式部省 文官の人事考課、叙位・叙任、位記や礼式・禄賜及び官吏養成機関「大学」の統括を担当。人事を握る式部卿は親王が任ぜられるのが慣例で、大輔が実質的な長官となり、儒学者で天皇の侍読(家庭教師)を務めた者が就任することが通例となった。 吏部
20 大学寮 官吏を目指す学生に対する教育と試験、及び孔子を祀る中国風儀式「釈奠」を担当。平安時代末期には官吏が一部家門で占められるようになり、大学は機能を果たさなくなり衰微。大学頭がトップで、博士が教育に携わった。学科には変遷があり、後に紀伝・文章・明経・明法・算道。その他、技官養成のため陰陽寮・典薬寮・雅楽寮などに教育機関が存在した。 国子監
21 治部省 姓氏・継嗣・婚姻等の戸籍事務、喪葬・僧尼関係・祥瑞・国忌・雅楽・山陵及び外交交渉を担当。平安時代以降は姓氏事務が少なくなり、遣唐使廃止以降は外国使節の接待もなくなり、やがて僧尼・仏事関係、雅楽及び山陵の監督のみが職務となった。 礼部
雅楽寮 宮中・朝廷の公的行事で音楽演奏・舞踊をすること、及び楽人の名簿作成管理、演奏者養成を担当。演奏者として歌師・舞師・笛師・鼓師・琴師などがいた。女楽・女踏歌、舞妓の教育を行う「内教坊」を管理。 大楽署
玄蕃寮 寺院僧尼の名簿管理、宮中での仏事法会の管理運営、外国使節の送迎・接待、在京俘囚(朝廷の支配に属するようになり、全国に移住させられた蝦夷の人々)の饗応、及び迎賓館である「鴻臚館」の管理を担当。 鴻臚寺
諸陵寮 陵墓の管理、山陵管理現業を行う「陵戸」の管理、・喪葬・皇族喪儀の儀礼運営などを担当。当時は「ケガレ」の思想から神事とは区別され治部省の管掌であった。意識の変化から明治以降は宮内省に置かれる。 廟陵署
22〜23 民部省 財政・租税一般を管轄し、諸国の戸口・田畑・山川・道路・租税等の民政を担当。荘園制度の発展とともに、地券関係の諸問題を扱う重要な役割を担い、民部省が発給する省符及び太政官が発給する官符による許可を得た荘園は「官省符荘」と称される事となった。 戸部
24〜25 主計寮 税収(特に調)を把握し、徴税量を監査することによって、中央財政を担当。職務柄、官人には数学(算道)に関する能力が求められた。主典の一人は廩院(庸の一部と年料舂米を収蔵し、諸行事に際して各司へ配給)の事務に専念した。 金部
26〜27 主税寮 田租税の管理・米穀倉庫の出納、地方財政収支の監査を担当。租税(特に租)や出挙の帳簿と徴税量の監査により地方財政を管轄した。主計寮と同様に大学の算道出身者が活躍する実務型の役所であった。 倉部
28 兵部省 武官の名簿・任免・叙位・位記・禄賜・考課等、人事を担当。諸国の兵務、兵士の派遣・徴兵・兵器・儀杖・城郭・烽・兵士名簿等、軍事全般を統括した。人事を握る重職である兵部卿の多くは公卿の兼官で、親王が務める場合は「兵部卿宮」と呼ばれた。 衛尉寺
隼人司 隼人(古代、大和の国とは風俗習慣を異にした大隅・薩摩から徴発した兵)の管理事務、歌舞の教習、弓箭・笠等竹製品の製造に関することを担当した。もとは衛門府の配下であったが、のちに兵部省の配下となった。 布護署
29 刑部省 司法全般を管轄し、裁判・監獄の管理・刑罰執行等、司法全般を担当。「判事」が重罪の裁判を行う。軽罪については各官司が独自に裁判権を持ち、平安時代に検非違使が設置されて以降は職掌の多くを検非違使に奪われ、刑部省は有名無実化した。 大理
囚獄司 京内二つの獄舎を管理し、刑の執行・囚人の監督など刑務全般を担当。のち、検非違使に大部分の職務を奪われ有名無実化した。ケガレの思想からか人気が無く、長官職就任は敬遠された。 断獄署
30 大蔵省 「大蔵」と呼ばれる朝廷の公式倉庫を管理し、銭貨・金銀・調・貢物の出納保管や諸国・民間の度量衡や売買価格の公定などを担当。ただし租税業務は民部省の管轄のため、財政官庁としての地位は高くなく、むしろ財産管理や染織・皮革製品等の官営工房としての役割が大きかった。 大府寺
織部司 朝廷で貴族官人が用いる様々な織物・染物製品の製造を担当。市販を禁止したりしたが室町時代頃から近隣に住んでいた大舎人、やがて民間の機織業者に取って代わられ、さらに応仁の乱で衰微。その伝統は現在の西陣に受け継がれる。 織染署
31 宮内省 中務省が天皇のオフィシャルな業務を補佐するのに対し、宮内省は天皇のプライベートをサポート。内裏殿舎の修繕や天皇の食事等の用務、宮中の掃除、医療などの庶務一切を担当。御料地等、皇室の財産を管理した。 殿中省
32〜33 大膳職 「内膳」が天皇の私的料理番であるのに対して、「大膳」は諸臣へ下賜する饗膳など、公式宴会の調理を担当。食物調理、諸国の「調」である醤・肴・菓・餅等を管理した。 光禄寺
34 木工寮 宮廷の建築・土木・修理、材木の採集及び「飛騨匠」などの職工の管理を担当。のち、宮殿関係の業務は「修理職」へ移管された。他の現業官司とちがい、主任者「工部」は世襲ではなく能力により登用された点が特色。 将作監
35 大炊寮 神事・仏会その他宴会の際の炊飯支給、諸司の食料支給管理及び諸国から収納される米穀に関する事務を担当。主食である米飯は他の食材と区別される特別な扱いであった。 大倉署
36 主殿寮 内裏の施設管理、庭の掃除手入れ、薪炭・照明用灯油等消耗品の補充管理、天皇の入浴、乗物を担当。天皇の「日常」に密着した主殿寮官人には、即位式において重要な役割があった。 尚舎局
37 典薬寮 天皇はじめ貴族への医療調剤、薬種の採集と薬園の管理及び医療関係者の養成の管理を担当。典薬頭の下、医師・針師・按摩師・呪禁師等が医療スタッフとして存在した。 尚薬局
38 掃部寮 内裏殿舎内の清掃、畳・御簾等の調度、宮中儀式の式場設営を担当。 守宮署
39 正親司 皇族名簿の作成管理、皇族への給与(季禄・時服)に関する事務を担当。皇族(大君)達を扱うので「オオキムタチノツカサ」と呼ばれる。正親町を「おおぎまち」と読むのはこのため。 宗正寺
内膳司 天皇の食膳「供御」の調理を担当。 トップは「奉膳」と「正」で、供御に関する一切を管理監督する。 もとは高橋・安曇の2氏が世襲制の「奉膳」とされたが、のち他氏からもトップを任じることになって別に「正」を置いた。 尚食局
40 造酒司 宮中で供される酒や酢の醸造・管理を担当。酒類は当時稀少かつ貴重な存在で、神事や宴会に不可欠のものであった。 良酉署
釆女司 地方より貢上させた郡司・諸豪族出身の女官「采女」の監督、名簿管理及び給料に関する事務を担当。釆女は容姿端麗の者を選び天皇の食膳奉仕を主任務とした。髪は「髪上げ」に結い、装束は独特のものを用いる。 采女令
主水司 朝廷の飲料水業務、粥の製作、氷室の業務を担当。清浄な飲料水の確保は重要な業務であった。 上林署
41 弾正台 中央行政の監察、禁色違反等京内の風俗の取締まりなどを担当。左大臣以下の非違を摘発・奏聞するため太政官の影響を受けないように独立した機関として設置されたが、直接の逮捕・裁判権はない。のち検非違使に権限を奪われて形式化し、有名無実となった。 御史台
42 京職 左右の京職があり、それぞれ都の左京・右京に関わる行財政・民政・治安・司法一切を担当。京職は京官(中央官)扱いで国司より上席であった。配下に各条ごとに坊令、各坊ごとに坊長が置かれて行政が末端まで行き届いた。のちに治安権限を検非違使に奪われて有名無実化した。 京兆府
市司 京の東西にある市場の管理、交易・商品価格の決定と監督、度量の軽重、商品の真贋鑑定を担当。月の前半は左京の「東市」51店、後半は右京の「西市」31店が開かれ、正午〜日没頃まで営業した。西市は早くに衰退。 市署
43 春宮
皇太子家の家政事務全般、令旨等を担当。唐における皇太子の家政機関「春坊」を模倣したもので、唐制にならい形式的には諸官庁から独立していたが、実際は太政官の管理下におかれていた。 特定の役所には専属せず、道徳を以て東宮を輔導する教育職「東宮傅」、経を取って東宮に奉説する教育職「東宮学士」がいる。 春宮坊
主膳監 東宮に関わる飲食を担当。東宮で内膳司・大炊寮・造酒司を合わせたような役割を担う。 典膳局
主殿署 東宮に関わる湯沐、燈燭、洒掃、鋪設のことを担当。東宮で主殿寮・掃部寮を合わせたような役割を担う。 典設局
44 勘解由使 官吏の交替引継業務に関する監査を担当。後任者が前任者に渡す引継完了報告書「解由状」を調査し、官吏が不正を行っていないかをチェックする。はじめ外官(国司)交代のチェックのため太政官に置かれたが、やがて京官交代に際しても解由状交付がなされるようになって、独立した機関となった。官吏交替の処理は「交替式」という独自マニュアルに則して行われた。官職世襲化や律令制の崩壊と共に衰退。 勾勘
45 近衛府 左右あり。内裏内の警衛、行幸の際の供奉を担当する令外の官。 「内重」(陰明門・宣陽門から内側)の守護を担当。元々は警備機関だが、のち儀式・余興(相撲など)・舞楽等の演者、儀仗(パレードの彩り)としての役割が重要となり、その道の巧者が多く採用された。 羽林
46 衛門府 左右あり。大内裏内の警衛巡検及び行幸の際の供奉、「外重」(大内裏内の宜秋門・建春門の外、殷富門・陽明門から内側)の守護を担当。 弓箭を常備し靫を背負っていることから、「靫負のつかさ」とも呼ばれた。「検非違使」は、「衛門府」官人の兼任職と定められていたため、「衛門尉」の多くは朝廷警察の現場実務において最強の権力を握っていた。 金吾
47 兵衛府 左右あり。内裏周囲の警衛及び行幸・行啓の際の供奉・雑役、「中重」(陰明門・宣陽門の外側から宜秋門・建春門の内側)の守護を担当。大和朝廷以来の舎人の伝統を受け継ぐ天皇直属親衛隊として重視されたが、のち近衛府が成立してから重要性は低下した。 武衛
48 馬寮 左右あり。朝廷や諸国の牧場、馬及び馬具に関する管理事務を担当。朝廷の御厩の公用馬はこの馬寮が扱っているため「寮の馬」と呼び、さまざまな「使」の役人の騎乗料とした。馬寮官人は武官だが兵站担当で「衛府官」ではないため、原則として弓箭を常備しない。 典厩署
49 兵庫寮 儀杖用武器・兵仗(実戦)用武器の製造と管理を担当。律令の「鼓吹司」(軍楽隊)を併合したため、大礼時の楽器演奏に関する内容も取り扱う。馬寮官人と同じく、衛府官でない武官。 武庫署
50 雑式 総記的な内容や、補遺的な内容。

※「唐名」は参考です。各種の名称があり、ここでは比較的一般的な名称を選択しました。