HOME綺陽堂>特別文様集

特別文様集

このページの文様は現皇室に関わる特殊な意匠です。
学術目的、公益に資するサイト以外の私的サイトでの素材としての使用を禁止します。
利用御希望の場合は、事前に管理人までメールにてお問い合わせください。
(公益サイトとはドメイン名が[ac.jp]または[go.jp]であることが原則です)

無断使用するサイトが見受けられますので、残念ながらこのページは、右クリック禁止ページとさせていただきました。
このページの文様には電子すかしが入っています。

表紙へ戻る


天皇の御袍 (桐竹鳳凰麒麟)

黄櫨染 青色

皇后の御唐衣 (白小葵地紋向かい鳳凰の丸、松食い鶴の丸)

大正御大礼 平成御大礼
皇后の御小袿

皇太子の袍 (か中鴛鴦)

黄丹

親王の袍 (雲鶴)

浅黄

皇族女子の唐衣、表着

唐衣
亀甲地紋雲鶴の丸
表着
入子菱地紋かに八曜菊
表着
入子菱地紋かに八曜菊
長袴の帯
(実用には使わない装飾品)
唐衣
秩父宮妃殿下
御成婚時
唐衣
皇太子妃殿下
御成婚時

解説

天皇の御袍
天皇が着用する袍(束帯の上着)の色や文様は、他の官位の袍と異なって、律令できちんとした定めはありませんでした。しかし皇太子の色「黄丹」より上位に「白」と記載されているところから、白が天皇の袍の色だったと想像されています。平安時代初期の弘仁11(820)年、今に伝わる黄櫨染(こうろぜん)という黄土色のような色が天皇の色と定められました。ただし天然素材で染めているため、各時代によって黄色が強かったり茶色に近かったり、かなり幅があるようです。 文様も特に定めが無かったのですが、平安中期頃から帝王を表す鳳凰や竹の文様が描かれはじめましたが、この頃は袍全体に唐草模様のように広がる地紋であったようです。鎌倉時代頃から桐や麒麟も加わり、ひとつの四角い文様「筥形文(はこがたもん)」となって、今日のような文様となりました。 青色(うぐいす色のような色)も黄櫨染と並んで天皇の色とされましたが、どちらかと言えば公式が黄櫨染、日常が青色であったようです。ところが室町時代末期に黄櫨染の製法が途絶え、一時天皇の御袍色は青色だけになりましたが、江戸時代に黄櫨染が復興し、明治以降は青色は御着用ではありませ ん。青色は天皇の秘書官である蔵人(くろうど)のベテランに御下賜になることがあり、また平安時代は親王や公卿も着用していたようです。この場合、天皇の「青色」と違う「麹塵色(きくじんいろ)」と称し、文様も「尾長鳥牡丹唐草」(大柄地紋のページで紹介)を用いたようです。
皇后の御唐衣
天皇に準じて皇后の唐衣は最高位の色として白が用いられています。また地紋は小葵、上紋には鳳凰が多く描かれました。小葵も高貴な文様であり、また鳳凰は皇后の専用文とされました。ただし女性の場合は男性の装束と異なってお洒落の要素が大きいので、必ずしも一様ではなく、その時々でお好みのものが用いられたようです。皇后陛下が今上天皇陛下の御即位式に着用された唐衣は、白小葵地紋に紫色の向かい松喰い鶴文でした。
皇太子の袍
皇太子の袍の色は「黄丹(おうに・おうだん)」です。紅とクチナシで染めた、わかりやすく言うとオレンジ色です。また文様は「か文」という瓜の輪切り形の中に鴛鴦(えんおう・おしどり)を描いたものです。天皇の御袍が明確でないものであるのに比べて、この皇太子の色と文様は古くから今日同様のものが確立されていたようで、鎌倉時代後期に描かれた「駒競行幸絵巻」に今日とほぼ同じ袍が見られます。他の親王の方々がお召しの、臣下と同じ黒い袍色の中で、ひときわ目立つオレンジ色が、東宮(皇太子)の立場を明らかにしています。
親王の袍(黒)
親王の袍の色も時代によってさまざまです。律令の定めでは臣下一位と同じ「深紫」と定められましたが、その後文献などでかなり不明確になります。鎌倉時代では上皇と同じ赤(深い紅色)や青(天皇の青色)が用いられたと記録に残っています。今日のように黒となるのは江戸時代中期頃からのようです。 文様は雲鶴や雲立涌が多かったのですが、各宮家(今日の宮家と違って、徳川御三家のように各流世襲で親王宣下を受ける家柄。伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家など)によって「三横見菊」「抱葉菊」「臥菊」など菊がらみの文様をそれぞれが定めていました。 これらの宮家は戦後民間人となり、今日の宮家は皆皇室の近縁者のみで、袍の文様はすべて上で紹介した雲鶴文になっています。二羽の鶴が向かい合っているところ、その上の雲形が太鼓のようになっているところが親王の袍の文の特徴です。
親王の袍(浅黄)
文様は黒袍と同じですが、色が浅い黄色のこの生地は、親王の成人式「加冠の儀」の際に着用される、未成年者としての装束「闕腋の袍(けってきのほう)」と呼ばれる脇を縫わない活動的な上着に用いられます。闕腋の袍は元々は武官の装束でしたが、子供は活動的と言うことで、成年前はこうした活動的な装束を用いた名残です。黄色は本来、無位の者が朝廷の仕事をするときに着用した「制服」に用いられた色です。親王の場合「位」とは言わずに「品(ほん)」と言いますが、品を授けられていない親王は「無品(むぼん)の親王」と呼ばれました。現在は品も位もありませんが、成年前は「無品」の例にならって、この色の袍を着用するのです。なお「あさぎ」には「浅黄」と「浅葱」の二種類の色があります。前者は淡い黄色、後者は水色にわずかに黄色が混じった色です。現在ではこの表記に混乱が見られ、色紙見本帳などでは「浅黄」と書いて水色であったりします。
皇族女子の唐衣、表着
内親王および親王妃が儀式で着用する「五衣・唐衣・裳」(いわゆる十二単の正装)は、ご結婚式など本人が主人公となる場合以外は、皆同じ様式なっています。唐衣は紫の亀甲地紋に白の雲鶴丸文、表着(うわぎ)は入子菱地紋に「かの中に八曜菊」の白(大正御大礼では黄色)の上紋です。文様は全員同じですが、色は年齢によって異なり、四十歳を越えるかどうかで色目が変わってきます。三十代までは唐衣の紫がわずかに淡い色で、表着の地色は赤です。四十代以降は唐衣の紫が濃くなり、表着の地色は二藍(ふたあい・実際には濃いブルー)です。
皇族女子御成婚時の御装束
上記のように大礼や諸儀礼の際は皇族女性は共通のお召し物を着用されることが多いのですが、御成婚のように御本人が主人公になられるときは、専用の装束を調進されます。色や文様は、季節や御実家の由来、御趣味など、さまざまな配慮がなされるようです。ここでご紹介したのは。秩父宮妃殿下御成婚時の唐衣です。青色の亀甲地紋に、御実家が会津松平家であったために由来する三つ葉葵をモチーフとした「かに三つ葉葵」の上紋です。近年の例では、秋篠宮妃殿下の唐衣は卯の花重ね(たて糸白、よこ糸萌黄)の亀甲地紋に薄紅色「かに丁子」、また皇太子妃殿下の唐衣は青色亀甲地紋に白で「かに支木(くちなし)」の上文でした。

伊勢神宮秘紋 (御被・御衣の御文)

黄地小車文錦 黄地竹文錦 屋形文錦 赤地鶺鴒紋錦

宮家家紋

秋篠宮家 高松宮家 三笠宮家
常陸宮家 桂宮家 高円宮家

このページのテキスト、画像等の転載を禁じます。
Copyright 1999-2002 HACHIJOU-Tadamoto. All rights reserved.


戻る